ウインターカップ2005 大会公式サイト / 日本バスケットボール協会 公式サイト
ウインターカップ2005
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共同記者会見レポート(福岡第一・井手口コーチ)
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■最後に自分たちがやってきたディフェンスと走りが出た
――決勝戦を振り返って。
今までのゲームは能代工にしても洛南にしても、特殊なチームというかセンターが3Pシュートを打ったり、速い展開からの3Pシュートがあってノーマルではないオフェンスをしたり、ゾーンプレスがあるチームでした。それにどう対応するかということで準決勝までやってきましたが、延岡学園の場合はノーマルな戦法をしていますし、うちとチームカラーが似ていることもあり、戦術面で考えることというのは特になかったです。相手の特徴も分かっていますし、やりやすかったと思います。ティアノ(#12ヌロ)が前半2つ目のファウルをしてチームの動きが重たくなってきたので、ハーフタイムには相当怒りました。延岡学園のペースで進んでいたので、もっと展開を速くしようと。最後は自分たちの走りが出たと思います。

――残り4分でリードした時、延岡学園がタイムアウトを取りました。その時の指示は。
ひとつはプレスに注意しなさいと。あとは、前半終わってティアノ以外の選手はファウルが1個かゼロの選手がほとんどだったので、「5ファウルしてもいいからディフェンスをアグレッシブにやれ」と言い続けてきたのですが、残り4分のところでももう一度「ファウル全部使ってもいいから強く守れ」ということを強調しました。守ることでリズムが出てシュートも入るので。その部分を強調しましたね。

――#10姚選手が5ファウルで退場した時は、これからどういう展開をしようと考えましたか?
#7山岸を出しました。#7山岸はプレイタイムは短かったけれど、ずっといいつなぎをしていたので大丈夫だろうと思っていました。派手さはない子ですけど、いいところでリバウンドを取ってくれたり、ディフェンスでのインターセプトもあったし、いい働きをしてくれました。#10姚は#12オーティス(永井)君を意識していたのか、今日は出来が悪かったので、僕の中では逆に5ファウルをしたことで踏ん切りがついて、#7山岸を送り出しました。

――キャプテンの#4堺選手もいい働きをしました。
今日#4堺は途中でレイアップを落として、逆に向こうに決められたりしたところもありましたが(苦笑)。以前#4堺はレイアップシュートを落とすことがよくあったのですが、練習で修正して落とさないようになり、決勝では最後にいいところで速攻と3Pシュートを決めてくれました。最後のほうでルーズボールを頭から飛び込んでいってくれて、相手ボールになってしまいましたが、そういう気持ちも勝因につながったと思います。

――今大会は#14並里選手の成長も大きいと思うのですが、並里選手に対しての評価は。
1年生ということを考えれば100点満点以上の活躍です。見た目は生意気に見えますが(笑)、バスケットが大好きでいつも遅くまで練習しています。天性のセンスだけではなくて努力もしている。ガードとしてはカッティングの力もあるし、シュート力もある。U−18の合宿に参加させてもらったり、国体を経験して、今まで足りなかったインサイドワークの勉強もしました。いろんな先生方から教えてもらったことを、自分の中に取り込んでいって力をつけたのだと思います。来年は「去年は良かったのに」と言われないように頑張ります(笑)

――留学生2人は3年間でどのように成長したか。
日本に来たばかりの時はティアノ(#12ヌロ)もサー(#11ブーバカー)も第1ピリオドでファウル5個ずつして、オフェンスをしたら全部3秒オーバータイムという状態でした(苦笑)。それから根気強く教えていきましたね。はじめて大濠高校(福岡大附属大濠)と接戦ができた時も他のメンバーは満足していましたが、彼ら2人だけ「悔しい、悔しい」といって泣いていました。そういう面を持っています。ティアノもサーも高校生活で大きなケガをしました。それぞれ、入院をしなくてはならない大ケガだったのですが、それを克服したこともいい経験になったと思います。去年のこの大会では、彼らの荒々しい気質とプレイが出て嫌な思いもしたのですが、そういうのもセーブできるようになっていた。それは自分がケガをして分かったことがあるのだと思います。うちには中学の時に有名な子というのは#14並里くらいしか来ていませんから、そういう意味では他の3年生たちと同じように成長してくれたと思います。生活面においても成長したと思います。

――インターハイ以後成長が見られましたが、どのようにレベルアップを図ってきたか。
今年はインターハイに出られるかどうかというところからスタートして、ギリギリ県2番で滑り込んでインターハイに出ました。インターハイでは市立船橋、洛南に勝って準決勝まで行って、その時にはじめて「今年ももしかしたら上までいけるのかな」という手応えを感じました。福岡県は9月にウインターカップ予選があるんですが、子どもたちは自信を持って予選に臨めたと思います。インターハイで結果を残せたということで、気持ち的に大濠と戦えるというのが出てきまして。その後ウインターカップに向けては「あの大濠に勝ったんだから次は!」という気持ちが私も選手も出てきました。ご存じの通り、福岡県予選の4校の決勝リーグというのは、今日の決勝戦みたいな試合ばかりです。大濠がウインターカップに出ても優勝したんじゃないかと私は思っています。そういう中で切磋琢磨をして、気持ちの面もレベルでも上がってきたのだと思います。また、ガードの#14並里が成長してきたので、#4堺と#6藤江の両ウイングが思い切って走れるようになりました。その部分は随分と練習してきました。ウイングが走ることと、最終的には5人全員が40分間走るということをやってきました。その走りが最後に出たと思います。


 
 

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